世界はよくできている。美しい。

 「生きとし生けるものはすべて環境に依存し、またそれ自身、他にとってはひとつの環境を構成するのであり、世界はかのように因と果の相互依存によってできている構造化される構造であり、構造化する構造なのである!独立した存在はあり得ない!」みたいなことを思うけれど、実は自分はあまり他に干渉しないで生きているんじゃないか?と錯覚を起こすことがよくある。いや、むしろこっちの方が実感してる。


すなわち、日々の生活においてほとんど何もしない、インアクティブ、パッシブ、無為徒食みたいな状態のときに。厳密には他と色んなエネルギーの交換をやっているけれども、平均より著しく低いとそういう気分にもなってくる。生きてる個体を基準にして、このエネルギー交換量がゼロになると死んでる状態、もとい存在していない状態になる。


これは比喩だけれども、社会的により生きているか、より死んでいるという状態も他(者)とのエネルギー交換をしてるか否かで計られると思う。生命機構がエネルギーを出し入れしてそれを存続させたり、大きくさせたりするように社会でも似たようなことが起こっている。その一つを目に見えるようにしたのが、たとえば経済取引とかじゃないかなあと思います。その場合このエネルギーのことを価値って呼んだりしてるわけで。


そう考えると、経済取引って抽象的なものを具体化させていく過程であるわけだから、必然的に形のないものが、形になって、やがてコチコチになっていくんじゃないかなあ。


直感でもの言うと、スタティックな構造を持ってあまりエネルギー交換しないと小さく固くなって機能停止みたいになって、ダイナミックすぎて型や平衡性さえ失うとバラバラの要素の一つになって瓦解みたいになるんじゃないかと思うんです。生き物でも社会でも。


僕は前者の方で社会的には寝たきりに近い状態で日々過ごしてます。あまり外界とのやり取りがないから、同じような日常を繰り返していて、廻っている大縄に入れない小学生みたいな感じで、どうしたもんかなぁと一人でまごまごしています。縄跳びに入れない子は外から硬直してあれこれ見て考えてるから参加できないと言っても、結構冷静にその状態を見てるんじゃないか。「うわー、廻っているなー、それもぐるぐるとー。しかも縄の先端部はちょっと遅れてふわっとしてるんだなー。」的な感じで。


「石橋を叩いて割ってしまう」みたいな現代ことわざが言うように、よく観察できることとその中に入って行けることはまた違っていて、資質的に一致することはあれど、やり過ぎると逆効果になる。んで、その観察しすぎちゃうのはなんでかなーとも考えるのだけど、僕の性格がビビリというのもありますが、「よくできすぎている社会」もその理由なんじゃないかなと思うわけです。


「よくできすぎている社会」というのは何か。それはよくデザインされて、サービスが行き届いている社会です。大縄の比喩で言うなら、上手く廻ってるそれ。もはや、比喩じゃない。でも、想像してみてください。完璧に廻っている(ように見える)縄に自分が入って行く必然性がありますか?もちろんないんだけど、入って行きたいと思いますか?自分が入ることで、その大縄は止まってしまうかもしれないし、うまく入れるかもしれない。なんらかの変化が起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。


問題はそこじゃなくて、上手く廻っているように見えると、「ん、おれいらんくね?あ、いらんわ」ってなることじゃないでしょうか。「別に上手くいってんならこのままでいいかー」と。完成されている構造には入る隙間がないとよく感じますよね、これです。思い出して下さい。修学旅行の班決めを。とくに構造が固めのときにはよくあること。


これ色んなアイドリングや日和見主義に見られますよね。政治でもナンパでも人生でも。もちろん、「やりたいんや!敢えてやるんや!」という姿勢が大事なのは分かりますし、それが正解です。ただの、その美しいフォルムが現状維持させはしないかという美学的な問題提起です。


そもそもこの「美しいフォルム」とは現状に対する人間の支配的な認知ではないかとも勘ぐることもできる。ようは現状維持をよいと思う性向がもともとあるんではないかと。実にありそうです。


じゃあ、どうやったらこの美しい現実に入り込むことができるのか?美しい限りそれは維持されるのだった。となれば、実はこのバーションが完成されたデザインではなくて、まだ手直しするところがある、ほころびや弛みがあるということに気づくことじゃないでしょうか。バグを見つければ、直したくなる、ムカつく、干渉したくなるのだから。だいたい、俺たちが今美しいと思ってるそれは本当に美しいのかと。目が悪いんじゃないの?ちゃんと見てないだけじゃないの?そうやってよく見れば、隙がないと思っていた大縄に入っていけるんじゃないかな。そのためにはやっぱり対象をよく観察すること。するとあれ、今度は高次元の構造が細分化されて見えてくるじゃないか。縄の編み目とか、規則正しく地面を叩く音とか、実によくできている。


円環の理、


美しい。