2014年

4月

15日

少年時代の終わり〜「愛のキャラバン」を終えて〜

 1986年4月15日に生まれたので、今日で28歳になった。10年前は高校3年生、5年前は既に大学を卒業していた。ここ10年の記憶ははっきりとある。1年ごとの、季節ごとの記憶が明確に存在する。そういう意味では10年とはあっという間である。例えば、7年前の春は白いナイキのハイカットスニーカーを穿いて、大阪の下新庄と言うところに住んでいて、童貞じゃなくなっていて、バンドTシャツを着ていた。などと。

 

 

 僕はこの10年何をしてきたのか。振り返ってみれば、ずっと悩んでいた。高2の冬、夕方、視聴覚室で突然「めんどくせぇ」に目覚めて以来のことだった。始めの5年は何に悩んでいるのかさえ不明瞭だった。ただ、めんどくさい。朝起きるのも、机に向かうのも、それなりに情熱を傾けていたであろうサッカーをするのも、風呂に入るのも、何より人間関係がめんどくさかった。

 

 

 とは言いつつも、社会は活動を要求してくるのである。それなりに社会で承認されていたら、生産性をゼロにして引きこもってしまうこともない。めんどくせえとは言いつつも、それなりに楽しく、それなりに日々の義務をこなして入ればやり過ごせるからだ。

 

 

 めんどくせえって何だろう、どうすればこのめんどくささから解放されて、意味や充実感に満たされた生活を送れるのだろうか?そう思って、21歳を過ぎたころから本を読むようになった。最初は人生の意味をテーマにした自己啓発本や新書が多かった。次に日本の近代文学、主に私小説を。それから批評や評論に手を出し始めた。物語より、事実や意味を論理的に分析/提示する方が、自分の思考回路に親和的であった。そこに宮台真司の本があった。

 

 

 社会学科出身の姉の部屋に『野獣系でいこう』という目をひくジャケットの文庫本が落ちていた。ジャケ買いならぬ、ジャケ読みである。そこで初めて宮台真司の名前を知った。社会学という、実用から程遠いようなジャンルの学問がクールであることが分かった。内容はあまり覚えていない。自分の曖昧模糊とした「つまんねぇ」の原因が切れ味のいいロジカルな言語で分析され、アパシーの処方箋が書いてあった。「この社会はクソだけど、俺とお前ら、選ばれし者は野獣のようにへこたれずエネルギッシュに生きて行くんだ!」そんなことが書いてあったに違いない。

 

 

 過激でロックな主張を支える社会理論は壮大かつ(一見したところ)精緻で、まるでゴシック建築の城のようである。それが宮台節。鬱屈していて、無知で無力な少年の空っぽの頭脳にすーっと浸透して、エンカレッジされるには十分な、初めての知との出会いだった。

 

 そこからなんやかんやあって、僕は2011年の春、25歳の時に首都大学東京の宮台真司に弟子入りすることになった。社会学をやったことも無いのによく大学院に入れてくれたもんだと思う。学問的な計画が皆無の、ただ実存上切実な問題を抱えただけの自分を受け入れてくれた首都大の教授陣と大学院拡充政策に感謝せねばならないと思った。福祉。大学院で催される歓迎会で、僕は臆面もなく「社会学は知りません。人生を学びに来ました。」と宣言した。それを聞いた学科長の江原由美子先生が微笑んでいらしたことを覚えている。そんな恥ずかしい宣言を今後することはあるのだろうか。

 

 

 僕の企画で、2012年の7月に宮台先生と高石宏輔さん、公家シンジさんに新宿ロフトプラスワンでトークイベントをやって頂くことになった。宮台真司がかねてより言及・推奨していた「野獣系」の実践=ナンパについて、ネット上で俄然人気を得始めていた高石、シンジの両氏を迎えてナンパ座談会をやったら非常に面白いのではないかという目論見があった。

 

 

 イベントは大成功だった。宮台ゼミに出入りして1年経っていたが、高石さんやシンジさんと対峙している宮台さんは今まで見たことのないような、笑顔や、戸惑いや、悲しみの表情を見せていた。10年越しに、速水由紀子さんとの『不純異性交遊マニュアル』の続きができたと思った。宮台ゼミに入って一番やりたいことができたな。とこの時思った。自分が一番宮台さんから聞きたかった話を、それも自分の個人的な問題に引きつけて喋ってもらう。宮台信者としてこれ以上に贅沢なメニューがあったあろうか。

 

 

 閑話休題。宮台先生は、女性(的)に批判される時にもっともその魅力が出る論客である。そのような瞬間をこの3年間で何度も目撃してきたし、前述の速水さんとの共著本『サイファ覚醒せよ!』では宮台真司の最も大事な部分=信心/宗教性が速水さんによって引き出されている。僕も、そしておそらく多くの宮台読者も社会学者・宮台真司に期待していることはなく、文学者/終わりなき日常の真摯な生活者・宮台真司にヒーローとして活躍して欲しいのだと思う。準拠できるロールモデルとして。

 

 

 2011年7月のイベントを期に、いよいよ自分のこれまでの人生の欺瞞に目を背けられなくなった。中途半端と、無力の重力によってごまかし続けて来た26年に耐えられなかった。22歳ごろより抱いてきた自殺願望がさらに強くなった。何度も何度も深夜から明け方にかけて、森の片隅で首を括ろうとした。明け方4時ごろに好きな酒を好きなだけ煽って、タバコを吸って、もう使うこともないしとコンビニで財布の中身を募金箱に捨てて、鼻歌を歌いながら森まで歩いた。ベルトを手頃な木にぶら下げて輪っかを作り、首にかけて体重をかけてみる。頭に酸素がいかなくなると、軽い快感に誘われるようにして、意識が遠のく。意識がなくなる寸前で足で木を蹴り、懸垂をするような形でベルトから逃れた。一度もあちらの世界に向けて、ジャンプすることはなかった。こちらの世界に明らかに未練を残したまま、中途半端な自傷行為を繰り返していたのだと思う。

 

 

 何回も遺書を書いては、捨てた。遺書を書くという行為は言ってしまえば、生きている者たちへの未練である。財産の相続にしても、感謝や恨みの念にしても、違う世界へ行くものが最後に残す未練である。僕はある時は、感謝の念を、諦めの念を、恨みの念を綴った。宛名は常に両親であった。先立つ不孝を謝ったり、感謝したり、個人として生き抜く気力が無い。などの内容であった。両親に加えて、いつもゼミで虚勢を張らない時は鬱屈している顔をしていた学生の師である、宮台先生や、彼女や親しい友人に感謝の念を書き綴っていた。

 

 

 それにしても、結局僕は死ななかった。宮台真司に憧れて、宮台真司になれなかった結果、自殺したS君という人物がいた。僕はS君が登場する『この世からきれいに消えたい-美しき少年の理由なき自殺-』を読んだとき、かつて自分と同じような生活態度や、思考回路を辿った後に、死んだ少年の存在を知った。彼は宮台真司に会わずに死んだ。宮台真司は彼の死後に彼の生を知り、一人の「ミヤダイ」が死ぬことによって宮台真司も苦しむことになった。自分はS君とは違って、生きた結果どうなるか知りたかった。まだ思考は宮台信者だった。宮台先生の提唱する立派な男子になることで、自分は「つまんねぇ」から抜け出し、終わりなき日常をたくましく生きて行く新しい宮台になれるのだと思っていた。

 

 そして、親への思い。20代まで日々、馬鹿にされてネグられて育てられたことによる、能力面や精神面への瑕疵をどうにか償って欲しいと思っていた。この2つの思いが最終的に自殺をしない理由だったように思う。

 

 

 死なないのなら、生きて行かなければならぬ。生きていくからには、死にたいと思いながら生きるのには辛すぎる。それは常にサイドブレーキをかけながらアクセルを踏むようなものである。死ねないけれど、生きて行くのが辛い日々がもう5年以上続いていた。痛くて痛くてたまらないけれど、無にすることもできない。で、あればサイドブレーキをかけるのをやめろよ、タコ助が。ということで、苦しみの根本に目を向けざるを得なくなった。

 

 

 親との関係である。先日、2014年4月12日の「愛のキャラバン〜大阪死闘編〜」で触りだけ紹介したが(ここが問題であった。)前述の通り、僕は親から20年以上に渡って馬鹿にされて、育って来た。僕の家は、典型的な戦後ニュータウン族のような核家族で、忙しくてほぼ顔見ないサラリーマンの父親、常識的で口うるさい専業主婦の母親、3人きょうだいの真ん中で上も下も優秀な女の子だった。女3人から日々、馬鹿にされ文句を言われ続ける子ども時代だった。表面的な問題は不和は無いが、誰も家族の誰かを褒めたことのないような家族。

 

 

 子供の頃、親に褒められたことが無い。事実と反するのかもしれないが、やることなすことすべて文句を言われたり、嫌な顔をされていたように思って来た。正月に親戚一同で集まって、祖父母や叔父叔母に優しくされる経験をする度、親は自分のことが本当は嫌いなのではないかと思っていた。おそらく親としてはそんな悪意などなかったのだろう。厳しく、自立した人間に育てたかったゆえの躾だろう。そう親も証言していた。

 

 

 しかし、自分は謝罪が欲しかった。そして愛して、認めて欲しかった。だから死にたかったし、死ねなかった。理論的な支えとしての宮台先生の言葉を求めた。自分が正しく、親が間違っていると証明するために、宮台真司の本からその論拠を探してた。

 

 

 2011年7月のイベントをやり、それを『愛のキャラバン』として電子書籍化し、2013年12月には『絶望の時代の希望の恋愛学』として書籍化、併せてイベントをやることで、己の問題がどんどん顕在化してきた。社会的な見せ物や実験装置となって初めて己の問題に気づく鈍感さ、いや、臆病さには我ながら恐れ入った。ということは世の人びとも同じように難度の高い問題を抱えているのかもしれない。

 

 

 先日の「愛のキャラバン大阪死闘編」に開催するにあたって、目を背けざるを得なくなった、親との関係について決着を着けることにした。前述したような、これまでの子育ての過ちを追及し、謝罪を求めた。結婚した姉の家を借り、別れてしまったが、昨年一年間共に過ごし、最も真剣で切実な愛憎の念を打ち明けて来た元彼女と両親の元に参じた。

 

 

 両親にこれまでの思いを打ち明けた。父親は姪が生まれたこともあり、もう既に祖父になっているのだろう。あんなに怖く、全う過ぎて、太刀打ちしようの無かった人があっさり白旗をあげた。「間違えていた。すまなかった。お前の考えを認める」と言った。母親は表面的にも受け入れられないようで、涙ながら必死に言い訳を繰り返していた。「悪気は無かった。しょうがなかった。」と。今回もやはりダメかと思った。しかし、同伴してくれた元彼女が怒りを交えながら「そういうことじゃない。立石君に謝ってくれ。」と言ってくれた。母親は相変わらず感情は共有してくれないが、元彼女の掩護射撃のおかげで、確実に僕の心を母に埋め込むことができたと感じた。

 

 

 他にも、上京して以来お世話になり続けているKさんの気遣いが心底うれしかったこと、そのおかげで何度も自殺を思いとどまれたこと、ゆえに本当の愛を経験できたと思っていることを、これまでにおいて最も真剣に、号泣しながら両親に伝えた。家族に愛されたかったが、愛されなかったこと。愛を挽回するために、活動してきたこと、様々な人びとと関わり、失敗したり成功したことを伝えた。その中に宮台先生のところへ来たことも。

 

 

 両親に20年以上伝えたくて、伝えられなかったことを、両親とは違う愛する人の存在を持って証明できたことで、ひとつ物語が終わった。両親は変わらずかもしれないけれど、両親のせいにして、見えない鎖に縛られて苦しむことも無いだろうと、帰り道に思った。

 

 

 5日後、母親から手紙を貰った。「ごめんなさい」と一番聞きたかった言葉が綴られていた。母親がおそらく時間をかけて丁寧に綴ったであろう何枚もの手紙を、恥ずかしくて5分もかけずに読んだ。読みながら、理解するより前に涙が出てきた。恥ずかしくて、うれしくて、泣いたことも忘れてしまえるよう、ベッドの中に入った。次の朝、明らかに寝起きの世界が「めんどくさく」なかった。

 

 

 というような話を先日の「愛のキャラバン〜大阪死闘編〜」で話そうと思っていた。しかし、語ったのはやったとことの概要と結果だけだった。そのことについてだろう。高石さんに「立石君は宮台さんに尊敬の念が無い」と言われた。その通りだと思った。僕個人のトラウマセラピー的なことを、こんなにも大規模にも贅沢に受けられたのは一重に宮台先生のおかげである。前述の内容は、程度に差はあれ、自分の大切な人びとには、K先輩、彼女、友人、高石さんやシンジさんには話してある。ただ、宮台先生の前だけで喋っていなかった。あるいは「愛キャラ」の聴衆の前では喋らなかった。

 

 

 僕は3年間宮台先生の元で、性愛や関係性を始め、社会学の知見や方法まで(当たり前だがw)教えを頂いた。本当にたくさんのかけがえの無い、秘伝の知恵を獲得しているとは思う。でなければ、おそらく宮台真司にも宮台ゼミ出身者にも社会的な価値はない。その中で、あるいは彼の本を読んで来た中で、ある寂しさを覚えていた。

 

 

 宮台真司は社会を分析し、社会を啓蒙し、社会変革を志す。社会を営んでいく過程で、欠けてはならないピースとしての愛の実践を提唱する。自分は家族や自らの学生を大切にしていると宣言もしている。家族のことは知らないが、自分は宮台真司の学生である。その自分やゼミ生は表面上はおそらく大切されている。しかし、本当のところどうだろうか?宮台ゼミ生は、皆同じような特徴がある。究極的には自分にしか興味がないのである。

 

 

 僕も含めて、ゼミ生は表面的には利他的だし、共同体主義的な振る舞いを見せる。しかし、本当は自分(の寂しさや悲しさ)にしか興味がないような人の集まりであるような気がする。メンバーはこの中の誰かの結婚式や葬式に参列するのだろうか。そういうことを感じていた。学問共同体に親密性やきずなを求めることなど、二の次に決まっているが、二の次にしても足りなさすぎるくらいの浅い関係の上に成り立っていると思う。

 

 

 そして、そのゼミの筆頭が宮台先生である。どんな人でもリーダーとフォロワーは性格や人柄が似てくる。リーダーがフォロワーの顕著な性格や生産性を体現している。僕は宮台先生に疑問を抱いていた。「宮台先生は本当は他人に全く興味がないのではないか?」と。先日のイベントでも「立石は自己関与的だが、宮台は他人に関心が向いている」と自身でおっしゃっていた。その通りであると思った。どんな人が宮台さんに質問しようと、懇切丁寧に対処される。だから宮台先生はこんなに人気がある。

 

 

 しかし、3年間近くにいた自分の思いとはどこかズレている。宮台先生はおそらく自分の延長線上に他人を見ている。すべてが自分であるかのように。その肥大した自分で他者を包摂する時、対面する人びとは巨大な宮台真司の一部となって安心感を得たり、自己肯定感を得たりする。それは自己ではなく、宮台真司であるのに。かつて自分もそうだった。そして、宮台先生と関わるうちに、「他人として、立石として」承認されていないことを感じるようになった。宮台先生は先日のイベントでも、宮台先生の類いまれなる大きさの夢に、憧れつつけ、自分の夢を見てこなかった僕のような人間を簡単に「宮台もただの他人であることは当たりまえだ。」と簡単に評された。

 

 

 聞いていれば、全うな意見だが、態度と言葉が矛盾していると思った。やはり、宮台先生は世界の宮台先生のように鬱屈したマイノリティを宮台化するような言説で、弱い人びとを巻き込んでいるように思う。宮台先生の「人は人、他人は他人」という意見も勿論、真意であろう。(宮台先生は嘘を吐かない方だ。)そう、他人なんてどうでもいいと思いつつ、夢の強烈さで依存的な人間を引き寄せる。そこに悪意はない。引き寄せている方からすれば、勝手に引き寄せられいているとも言える。

 

 

 最初は本を読んで、そして実際に首都大まで行って、自分の人生をどうにかする指針を与えてほしいと引き寄せられた僕は、一番近いところで宮台先生の本性を見て来た。宮台先生は、とても真面目で真剣な方だ。クソ社会に抗うために真剣に生きておられる。しかし、彼から愛を感じたことはない。愛とは何か。端的に他人を思いやることだと僕は思う。表現が難しいから、なるべく誤解を与えたくない。

 

 

 僕は宮台先生をとても尊敬している。現状が不明瞭な生きづらい社会を、様々な方法で分析し、人びとに示唆を与えている、とても立派な社会人だ。現代のヒーローの一人である。そのヒーローになりたいと、かなり近いところで生活していた僕は、そのヒーローの類いまれなる悲しみと孤独さを発見してしまった。そして彼は己の悲しみを他人と共有する気がない。まさに孤高のヒーローである。自分の悲しみや孤独や、理想をシェアするのではなく、自分化するために生きている。孤高のヒーローは他人のために戦わない、自分のために戦っている。そう感じてしまったのだ。

 

 

 宮台先生は、究極的には他人を他人として愛することはないのかもしれない。そう感じている。(誰にでも言える問題である。)イベントで高石さんに「立石君は宮台さんに甘えたかったのか?」と聞かれた。おそらく間違っていない。宮台先生は制度的にも師匠であるが、個人として、他人として認めて欲しかったのだと思う。しかし、僕に限らず誰も宮台ゼミ生は宮台先生に「他人として」認められてはいない。勿論、学問的に優秀な人はいるし、その逆もいるから程度に応じて学問的に評価はされているだろう。

 

 

 クドいようであるが「学問共同体に求めざるべきことを求めて、その自分勝手な願いが裏切られたから何をお門違いなことを嘆いているのか」という批判は少し待って欲しい。彼の言説は、S君や僕や宮台ゼミ生や多くの宮台信者を実存的に惹き付ける、ブラックホールのようなものだ。しかし、引き寄せらた中心には宮台真司以外の他人はいなかった。そう感じているのである。そしてそれが先日のイベントで、これまでの宮台先生との日々で彼に感謝できなかった理由であると思っている。

 

 

 宮台真司に依存的にハマりきった人は幸福な出口を見つけられないように思っている。(ハマり続ける人はハマり続ける。)出口は2つ。死ぬか、かつて自分が真摯に考えて対処してきた問題と共に、宮台真司やそれにハマっていた自分を馬鹿にして無かったことにするかのいずれかだ。僕はそうなってしまうことは宮台真司の真の価値を貶めることだし、自分はどちらにもなりたくない。前者にはなり得ない。後者にも絶対になりたくない。明らかに、僕は宮台先生に人生の指針を与えてもらった。それなのに、感謝していない。一番大切な話を彼の前でしていない。これはおかしなことだ。どうにかしなければならない。

 

 

 そしてもう一つ、個人的な問題を解決するように始めたこの一連のイベントで、聴衆の方々にも礼を欠くような行為を働いてしまった。宮台先生と「愛キャラ」を見て下さっている方々に深くお詫びを申し上げたい。しかし、いずれも僕の本心から出た行為である。あまりにも自己関与的で「素敵」とは言いがたい結果である。

 

 

 これからは宮台先生の元を離れ、宮台先生とは違う人間として、いつか宮台先生に感謝できるように自己陶冶をしていきたいと思っている。S君は宮台真司ではないのに、宮台真司になろうとし、挫折し、絶望して死んだ。そこに宮台真司の責任がなかったとは思わない。彼もその話を聞いて鬱になったくらい苦しんだ。しかし、宮台先生は根本的にその過ちと同じ構造を持ったまま活動しておられると感じている。死んで行ったS君はかつての宮台真司であるし、かつての僕であるし、また別の人間である。

 

 

 そのことを背負いながら、僕は死ななかったS君ではあるが、別人の、まともな立石浩史になって、宮台先生に恩を返せるようになりたい。

 

 

 

 これで僕の暗黒時代ならぬ少年時代は終わった。真に社会に意味や価値のある仕事をしていきたい。まじで。次は修業時代である。遅いから、早くするし、長生きもしようと思う。

 

 

 宮台先生、「愛のキャラバン」の皆様、観客の皆様、本当に本当に、お世話になりました。現時点では、無礼な感謝しか申し上げることができない己の不徳を悔やみます。皆様方とは違う人間としてちゃんと生き、他人や社会と愛し合い、「クソ社会」ならぬ「現実の社会」で歩みを進めて行きます。          

 

                                  立石浩史

 

 

 

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コメント: 5
  • #1

    かつ (水曜日, 16 4月 2014 02:15)

    立石さんの中で何かを終わりに出来た事を感じました。
    何かを終わりに出来た人だけが次へ行けるのだなとも。何かを終わりにするには戦わなければならないのだなとも。
    本当にありがとうございます。
    僕はまだ終わりに出来ていないので次に行けないのだなと気づかせて頂きました。
    イベントでは表出し切れていなかった立石さんの実存が現れているのが勝手ながら嬉しく感じました。

  • #2

    くちょん (木曜日, 17 4月 2014)

    大阪イベントに観客だったものです。

    このブログ内容を整理して

    あの場で、語ってくれたら良かったのに...

    あの時のあなたはお金を取った観客に対して不誠実なものでした。
    つまり「金、返せ!」って事です。

    もう少し表現力をみがきましょう。

  • #3

    h2oearthman (土曜日, 19 4月 2014 02:19)

    三回読んで、その度に自殺を試みた下りが、デリのその時の表情を想像してしまって辛くて、画面を畳んでいたんだけど、やっと四回目で最後まで読めたよ。俺もデリも物語が好きすぎるのかな。困ったもんだ。困ったもんだが、仕方ないな。

  • #4

    さる (木曜日, 24 4月 2014 14:20)

    漢字にするなら、この場合は「全う」ではなく「真っ当」では。
    何度か出てきて気になってしまいました。

  • #5

    Hannah Caves (月曜日, 23 1月 2017 04:01)


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